えもしん!

エモい心理学論文と、kindle本の出版記録を書き溜めています。

【kindle出版】英語訳を外注してアメリカのKDPで販売すればいんじゃん?

 

さて、kindle出版をはじめてちょうど一年が経ったが、正直なところ新しい物語のネタもなく出版が滞っている。新しく文章を書いてみるも、あれこれ前もこんなん書かなかったっけという既視感に苛まれ、筆を置く日々。何かおもしろいことしたいな~と思っていたときにふと思いついたのが表題。僕すげぇ販路思いついちったぞ☆ 

 

さっそく、アウトソーシング先を募集できるランサーズにアクセスしてみると、僕と同じようなことを考えている人がひとりふたりいた。彼らも僕と同じように外注先を求めていたらしく、三万字の日本語小説を二、三万円で英訳してくれい、という募集をかけている。ははーん、やっぱkindle作家が考えることはみな同じか。まぁ英語で売れば市場規模跳ね上がるもんね。で、僕は彼らの募集内容をコピーして参考にして募集をかけてみた。

 

とりあえず、半日で一名の方から受注の提案を頂いた。ふんふんふんふん。日本人でもなければ英語圏の人でもないみたい。変な訛りとか出ちゃったらどうしよう。僕は英語を読むことができるけれど、非英語圏の訛りがでているかどうかが認識できない。そもそも、英語の文語文において方言ってあるのだろうか......。小説なので、登場人物が変な訛りになっていたら辛すぎるよね。ばりばり日本っぽい小説だから、日本人に外注任せて、どうせ訛りが出るなら日本人っぽい訛りにしたほうがいいのかなぁ......。

 

ムズカシイね。

 

おしまい。

映画『ジョーカー』で主人公が狂っているのは、たったの一場面だけだったと思う。

 

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 社会政策を決めているのは、たいていの場合は中流・上流階級の人々だ。いくつかの社会政策がうまくいかないと見積もられていたり、結果として実際にうまくいかなかったのは、そういった為政者の社会的階級が偏っていることに拠るのかもしれない。

 

 映画『ジョーカー』の前半部では、ホアキン・フェニックス演じる主人公アーサーが、売れない大道芸人という社会的階級の低い人物像が描かれる。その階級で生きているゆえに生じる同僚との軋轢、バスの中で発作的に生じる主人公の高笑い、街のアウトローからの暴行などが見ていて痛々しく、しかし心に照射する。

 

 中盤からは、じわじわと観客の気持ちを真っ黒に染め上げる。アーサーは同僚からもらい受けた銃を大道芸の仕事中に落としてしまい信用を失う。地下鉄で絡んできた証券マン風の男三人に対して銃の引き金をひいてしまう。愛の始まりかと思われた女性との邂逅はアーサーの妄想だった。もう映像の中には昼も夜もないように、ただ陰鬱な日々が映し出される。

 

 作中、明示されてはいなかったが、アーサーが銃を持ち歩いている様子から、中村文則のデビュー作『銃』にも通ずるところがある。アーサーが『銃』の主人公同様に、もらい受けた銃を、有難く美しいと感じているかはわからない。いや、最初はむしろ拒否反応を示していた。それでも、ぎりぎりのところで精神を保っているアーサーにとっての銃は『喜劇』への扉として機能していた。

 

 言いたいことは、どれだけ客観的に見ても、闇堕ちする要素が詰まっているということである。共感したよ、っというわけではないけれど『ジョーカー』に辿り着くまでの心理描写としては全く違和感がない。自分も、周りの人間も、アーサーのような目にああったら、果たして正気でいられるだろうか。

 

 しかし、一場面だけ引っかかるところがあった。アーサーが自らの出生を疑い、母親が入院していた精神病棟(?)に資料を閲覧に伺うシーンである。傍から見ていて、アーサーにとって確実にネガティブな結果しか得られないだろうという場面だ。つまり、「自分(アーサー)の母は自分を愛していてくれたか」という問いに対して、きっとそれを打ち砕くだろうと確信できるところなのだ。これは、心が壊れそうな人を見る側の人間としては、狂っているように見えた。

 

 僕もアーサーと同じ境遇なところがあり、自分の出自を詳しく知ろうとは思わない。自分の出自を知らないという事実の裏には、必ずネガティブな事実があるからだという信念があるからだ。ネガティブな事実のせいで、我々のような人間は自分のことを知らないのだと思う。それゆえに、僕には、闇堕ちするための最後の引き金を、アーサーは自ら引きに行ったようにみえてしまった。確実に自らの人生を『喜劇』に仕立て上げようと、唯一、狂っていたのだ。

 

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 『今までは存在していないも同然だった。だが今は違う』

 

 

 アーサーは、無秩序に発見された。結果として、アーサーは『ジョーカー』へと向かう。もちろん、彼自身は闇堕ちなどとは思っていないだろうし、彼なりの『喜劇』を追い求めただけだ。最後の方のTVショーの出演シーンでは、彼の思惑通りに話が進んでいれば司会者のマーレ―を打ち抜くことはなかっただろう。その行為に必然性などない。ただ、『ジョーカー』にとっての『喜劇』とは何かを煮詰めた結果、人が死んだだけだった。

 

  この映画の舞台は1981年のアメリカ・ゴッサムシティで、架空の街であるが「当時の埃っぽい匂いが伝わってきた」と思えるくらいに鬱屈していた(僕は日本生まれであるし、このときまだ生まれてもいないが)。格差社会は当時だけの話に限らず、現代のアメリカも相当深刻であるし、アメリカほどではないが日本も悪化してきている。危機的な状況になると、とりわけその時に危機に瀕した人、あるいは元々危機に瀕している人も、『他人とのつながり』を求めるのは進化心理学的に適応的らしい。劇中でアーサーが血縁者とのつながりを確認したがっていたのも、そのためだと思えば半分は納得がいく。少しだけそのことを考えるために、自著ではあるが以下に文章を引用させてもらう。

 

 

 先の東日本大震災の日から十日間の出来事を思い起こしてほしい。あなたはあのとき、どんな場所で何をしていただろうか。私はあのとき、夕方から友人と食事をしていたため、出掛ける準備をしていたところだった。身支度をととのえ、のんびりとテレビを観ていた時に、それは起こった。
 はじめは、大したことのない僅かな揺れだったので机の下に身を隠す程度だったが、徐々に震度が増していくにつれ、早く部屋から退避しなければと思うようになった。
 揺れる建物の廊下を壁伝いに歩き、階段を下り、道路に出た頃には揺れは収まっていた。私と同じように建物の外へ出た住民が何名かいて、言葉もなく、彼らと目を合わせたのを今でも覚えている。このとき、ひとりぼっちで感じていた地震への恐怖を、見知らぬ他者と確かに共有したのだと感じた。
 震災からしばらく経つと、被災地を中心とした被害状況が報道されるとともに、国内外からの支援や援助の活動も報じられた。当時、盛んに使われていた言葉に、「絆」というものがあった。

  私は、なぜ大震災という国家的危機に直面したときに、覚えたての言葉のように「絆」という言葉を連呼するのだろうと思った。「絆」が生まれるきっかけは、他にいくらでも日常に落ちているはずだ。それにもかかわらず、私たちは普段はさほど「絆」という言葉を使うことはないように感じる。しかし、このときばかりはかなりの頻度で「絆」という言葉が用いられてた。
 もちろん、「絆」というキーワードは、ポジティブな意味合いを持っているし、社会を生き抜くための必要な関係性である。しかし、このときになってなぜ「絆」が特に必要とされたのかが、不確かだった。
 試しに、東日本大震災の起こった2011年前後の記事を、Googleを用いて検索してみた。検索条件Aでは「絆」という検索キーワードで2010年3月10日~2011年3月10日の震災直前期から2011年3月11日から2012年3月11日までの震災直後期を対象として検索した結果、16万3千件から37万4千件へと増加していた。一方で、比較対象として検索条件Bでは「たわし」を検索キーワードとして同時期の変化を検索したところ、1万8千件から1万9千件というように、大きな差は認められなかった。データを比較してみると、検索条件Aの「絆」を検索キーワードにした場合のほうが格段に増えている。
 どうやら、人は危機的な状況に陥ると、他者とのつながりを求め、「共同体をつくる」傾向にあるのかもしれない。自分たちが窮地に追い詰められた時、他者という社会的資源は、なによりも身体的・精神的に救いになるからだ。

 もし、そうであるならば、もともと社会的に窮地に追いやられている人は、常にそのような「絆」を意識しなければならないということに繋がるかもしれない。突飛な意見かもしれないが、近年の実証科学的研究に基づけば、あながち間違いではないことに気づかされる。それでも、この仮説が不確かだと感じられるのであれば、それはあなたが中流・上流階級の、職歴や学歴、年収、友人関係、家族などにそもそも恵まれた高い社会的資源を有している人物だからかもしれない。
 

 

 

社会的弱者の生存戦略

社会的弱者の生存戦略

 

 

おしまい。

 

【kindle出版】電子書籍の個人出版の一年間総売り上げを振り返る

 

今日は、電子書籍作家として書く。

 

Kindle Direct Publishing(KDP)を通じて自分の本を出版して、早くも一年が経とうとしている。なぜkindleで売ろうと思い立ったのかは、もう思い出せない。親友とどんなふうに仲良くなったのかを、思い出せないように(違う)。

 

でも、とにかくAmazonさんはありがてぇ。さも「作品です」という面しながら店頭に並べさせてくれるんだから。しかも、新規参入はとても簡単。切れ味ある文章とPCを持っていたら、即日販売を開始できるし。

 

一時期は有料電子書籍のランキングでカテゴリ一位にもなった。それは、以前にも紹介している変態ドスケベ小説である。ほんとうは違くて、純文学気取ってたんだけど、この本だけがめちゃくちゃ読まれているのでもう変態ドスケベ小説でいいです。

 

まぁ、めちゃくちゃ読まれていることの本当の理由は、読書メーターでフォロワーの多い方がこの本をレビューしてくださったおかげなんですけどね。たぶん。ほんとうにありがとうございます。

片方だけおっぱい

片方だけおっぱい

 

 

 

とはいえ、最初はKDPのやり方がわからなくて、公式や個人ブログを読み漁り、細かい方法論を探った。探っても出てこない情報もたくさんあったので、そこは試行錯誤の日々。そのへんの内容は、またKDPで出して売り上げを加算しようと考えている始末。まぁ、いつまでKDPが売れるコンテンツなのかわかんないけど、全力でしがみついていくよ。

 

 

 

 

さて、本題。kindleにはkindlle unlimited(KU)という定額サービスがあって月々にいくらか支払えば対象書籍は読み放題。ネットフリックスやプライムビデオの電子書籍バージョンといったところか。これに登録しておくと、KUを通してよまれたページ数の運だけ印税が入ってくる僕の本は漏れなくKUに登録している。だって、そうしないと自分の本を買ってくれる人は延々と待たなければ印税にならないもの。そして、そんなもの好きはそう多くはないのだ。

 

僕の一年間のKUの状況は以下の通り。2019年の6月がピークで、上記のおっぱい小説がえぐいくらい読まれていた。それに加えて、普通に購入された印税分を足したのが支払金額である。イタリアとカナダからも読まれていて笑った。

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一年間のKUを通した売り上げ

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一年間の総売り上げ

 

以上よりまとめると、一年間の総売り上げは......17,989円

少ないっす。でも、活字のみ非エンタメ小説にしては健闘したんじゃないだろうか。ちなみに、他の電子書籍でも別作品を公開しているので作家としての収入はもうちょいある。が、電子書籍個人出版は、そろそろ副業としてきついフェーズに入ってくるんだろうな。漫画ならまだしも、活字、しかもラノベでない活字を読む人なんて絶滅危惧種だろう(自己啓発系なら話は別)。

 

 

うん、やっぱ副業としては無いよね。アフィや株のほうが余裕で儲かる。なので、別に小説で食っていこうなんて思っていない。十代のころから陰鬱とした小説ばかり書いてはいるが、結局のところその動機は精神安定剤なのだと思う。小説はその方法の一つなのだ。

 

おしまい。