えもしん!

エモい心理学論文と、kindle本の出版記録を書き溜めています。

白衣を着れば有能になれる?

コンタクトレンズデビュー、おそらくデビューを冠する行為で最も年齢を問わない行為。そう思ったので眼科に行ってきました。(まだ20代だけど)

 

病院に入り、コンタクト処方をお願いしますと伝え、おとなしく着座。すぐに名前が呼ばれ、ざっくり問診。レンズのつけ方について軽くレクチャーを受けた後、目玉にごり2ごり擦りつけること30分、ようやくデビュー。

 

診てもらったお医者さんだけど、ひょうひょうとしていて新鮮だった。

 

「はじめてコンタクト入れるの怖いよね~」

 

こんなテンションだったので、まったく焦ることなく30分間トライできた。お医者さんって権威的で高圧的な態度で接してくるイメージあるので、こんな人もいるんだなと思ったりして。

で、そんなお医者さんが着ている白衣についての論文です。白衣を着用することが認知的な課題成績に影響を与えるのか?というお話。

Adam, H., & Galinsky, A. D. (2012). Enclothed cognition. Journal of Experimental Social Psychology, 48(4), 918-925.

 

 

論文の内容

タイトルにもなっているEnclothedなんだけど、これは【接頭辞】en (~の状態にする)+cloth(服)+【接尾辞】edの造語らしい。

Enclothedとは、ただ単に衣服を着用している状態ということではなく、着用している衣服の抽象的な概念に心身が包まれている、と解釈すればよいのかな。

そしてEnclothed cognitionとは、Enclothedの場合においては、その衣服が示す抽象的な概念が、着用者の認知的なプロセスに影響を与えるという主旨の説明がなされている。

 

さらに読み進めると、白衣はお医者さんや科学者の象徴なんだよって述べられている。で、それを着用することが着用者の注意深さやミスの低減に繋がるのではないか、という仮説が続く。

 

実験は複数行われており、1つ目の実験では認知機能の測定手法としてストループ課題が用いられています。この課題成績について、白衣を着用している実験参加者と、着用しない(=私服)参加者とで比較しています。

 

ストループ課題っていうのは、文字の意味がその色と関係あり、しかも異なる場合(不一致文字)、参加者は文字色を正確に答えることが困難になるっていうやつ。例えば、赤色の「あお」という文字、緑色の 「きいろ」という文字の色を答えるような場合みらいなのね。これは、文字の意味が、文字の色を答えることを阻害するために生じて、参加者は文字の意味を答える傾向を抑制しなければならない。


研究の結果、まず課題の不一致条件のほうが一致条件よりもミスが多いという統計的な差がみられた。よって、ストループ課題が課題として機能しているということが示された。
そして、不一致条件において白衣を着ている場合のほうが白衣を着ていない場合よりもミスが少ないという統計的な差もみられた(Fig.1)。よって仮説は支持された、ということになる。

          

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実験2では、医者用ということが明示されている白衣(described as a medical doctor's coat)を着用する条件、ペインター用ということが明示されている白衣(described as an artistic painter's coat)を着用する条件、医者用ということが明示されている白衣をただ単に見る条件を設け、それぞれの条件で間違い探しゲームを行っている。

 

その結果、最初の条件のほうが後の2条件よりも多くの間違いを発見することができた。医者という文脈が認知機能に効いている、ということになる。

 

これらの結果により、特定の衣服を着用していてかつその衣服の抽象的な概念が関連付けられているときに、認知機能に変化を及ぼす、ということが言えると述べられている。換言すると、衣服を着用していても抽象的な概念が関連付けられていなければ、あるいは抽象的な概念が関連付けられていても衣服を着用していなければ、認知機能に変化を及ぼさない可能性があるということになる。

 

他にも、もしもナース服を着ていたら、それらは養護的な概念を有しているので、電気ショックを与えにくくなるかもねって著者らは言っています(どんな状況!?)。

 

 

感想

これ以前の研究にはあまりなかったのは、「着用者自身の認知」という点だと思う。「着用している人に対する印象」という研究は割と見かける内容だけど。

あと、「着用者の認知機能の変化」について明らかになったけど、「着用者による着用者自身への印象の変化」も気になるところ。白衣を着ると、なんだか偉くなった気がしないかなぁ。

 

もう一つ。よくわからなかった部分があって、それが以下の文章。
To provide a cover story, the experimenter told participants that other participants in prior sessions of this experiment had been wearing lab coats during lab construction.
よく心理学実験では、実験の意図が気づかれないようにカバーストーリーを参加者に教示するんだよね。この文章がその該当部分だけど、lab constructionの意味がよくわからなかった。研究分野によってはピンとくるのか??僕はピンとこなーい。

 

おしまい。

漫画でよく見かけるこういう線の不思議

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不思議。マンガの表現って不思議。

 

誰かに教わることもなく、描写された野球ボールが右から左へと放たれていることがわかる。右に添えられているのは、単なるの不揃いな横棒線の集合。なのに、この野球ボールが右から左へと放たれていることがわかる。もう、野球ボールが右から左へと放たれてるようにしかみえない。現実には、こんな不揃いな横棒線の集合は全くみえないのに。

 

そんなわけで、今日はマンガにおける線型表現についての論文。マンガだけに、日本人による研究となっている。

 

林聖将, 松田剛, 玉宮義之, & 開一夫. (2013). マンガのスピード線の視覚的効果. 認知科学, 20(1), 79-89.

 

 

論文の内容

著者らは、この野球ボールの線型表現によって引き起こされる空間的な注意について着目した。ざっくりいうと、人ってボールが進行する(ようにみえる)方向へ素早く注意を向けやすいんじゃないかという仮説をたてた。

 

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どうやって上記の仮説を証明すればいいのだろう。著者らは、コンピュータープログラムを用いて、上記のような手続きをとった。まず、注視点(Fixation)で実験参加者の視線がブレないよう制御した。

 

次に、手がかり(Cue)で例の野球ボールによって注意を操作した。ここが、仮説検証のためのポイントとなる。その後、実験課題(Target)で「*」を出現させた上でそれに対するキーレスポンスによる反応時間を測定した。

手がかりでは、「三〇」だけではなく「〇三」と示される場合や何も示されない場合がある。なので、実験参加者にとってはどちらに注意が操作されるかはランダム状態になる。また同様に、実験課題では右側だけなく左側にも「*」が出現し、「*」の出現位置に対応する左右キーを押すよう教示されているので、こちらも実験参加者にとってはランダム状態になる。

なので、「三〇」が出た方向に「*」が出現する(右側に「*」)一致条件、「三〇」が出た方向とは逆方向に「*」が出現する(左側に「*」)不一致条件、そしてそもそも手がかりが示されない統制条件が設けられたことになる。

 

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実験の結果、一致条件のほうが不一致条件や統制条件よりも「*」への反応時間が速いということが示された。このことから、マンガでみられる線型表現は、物体の運動方向を認識させ注意をその方向へと誘導させるということが示唆された。

著者らによると、実験参加者らはマンガを読んだことがある人たちだったので、線型表現による注意の誘導が、生まれながらにして身についているものなのか、経験的に身についたものなのかが不明であると述べている。

 

 

感想

不思議。マンガの表現って不思議。

人ってマンガで物体をみるとき、主観的に「マンガの中で動いているということなんだな」というわけではなく「マンガの中で動いている」と認識していることになりそう。

 

他にも、マンガでみかける怒りマークとかも不思議。なんであれで怒っているように認識してしまうのか。ちなみに、キャラクターの頭に付帯しがちなあのマーク、漫符(まんぷ)っていうらしい。

 

表現を科学するっておもしろい。

 

おしまい。

 

人がそれがアートとして観るとき

 
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この絵画作品をご存知だろうか。19世紀前半にはカタルーニャ独立運動家として活動し、同世紀後半には芸術家として晩年を過ごしたスペイン人のアリセンスキーによる作品である。彼の作品は19世紀後半の芸術家の中でも異彩をはなっており、繊細なタッチで描かれる独特のキャラクターには親しみやすさと同時に不穏な雰囲気を醸し出している。 


嘘です。

僕の落書きです。30秒で書きました。
騙してごめんなさい。アリセンスキーって誰だろう。さて、作品を鑑賞するとき、人は環境や文脈にどれだけ左右されているのだろうか。そんなわけで、今日はアートに関する論文。

Van Dongen, N. N., Van Strien, J. W., & Dijkstra, K. (2016). Implicit emotion regulation in the context of viewing artworks: ERP evidence in response to pleasant and unpleasant pictures. Brain and cognition, 107, 48-54.

 

論文の内容

著者らは、アートを鑑賞するという体験は博物館のような確たる文脈の中で生じるもので、そういった文脈の中で対象物に接触したりするので、そもそも対象物に好感を持ちやすいといったことを述べている。確かに、休日に博物館行こうとするとき、明らかにポジティブな体験をしにいっているなという気はするよね。また、人がアートを鑑賞するとき、人と作品の間には「情動的な隔たり」が生じており、そのためにギョッとするような作品も好感をもって鑑賞できるんだよ、とも述べている。少なくとも創作物だと認識していれば、情動的な衝撃はそれほど強くならなさそう。そこで、以下のような実験を行った。


実験者らは、まず100枚の写真を用意した。その中には、ポジティブな写真(スポーツ、家族写真など)とネガティブな写真(災害の様子、ずたずたになった身体(!)が,50枚ずつ含まれている。


そして、「地方新聞から収集したものです」と教示する現実写真条件と「美術館から収集したものです」と教示するアート条件を設けた。
両条件において、ポジティブな写真とネガティブな写真が均等になるよう25枚ずつ振り分けた。


ちなみに、アート条件の写真は、「油絵をデジタル化したものもあれば、俳優や小道具を映した作品などがあるよ」とも教示している。


各参加者は、両条件を呈示され、それらの写真がどのくらい「好き」であるかを尋ねられ、さらに写真をみたときの脳波も測定された。その結果、アート条件のほうが現実写真条件よりも、ポジティブ・ネガティブを問わず、「好き」と評価された。また、現実写真条件のほうがアート条件よりも、ポジティブ・ネガティブを問わず、認識された情動の強度を反映するLPP(late positive potential)という脳波成分が大きくなっていた。
著者らは、アート作品の鑑賞では構造などのプロパティの部分に注意がいくぶん、情動的な反応がやや弱くなったと述べている。

 

 

感想

本研究には問題点があって、本当にアートとして(あるいは現実の写真として)観ていたのかどうかを実験参加者たちに調査していないため、アート鑑賞という文脈の効果があったのかが曖昧になっている。あと、現実写真条件とアート条件で用いられた写真が異なるようなので、厳密に統制できているとはいえないのかもしれない。

主観的にアート条件のほうが「好き」と評価されたのは、時間をかけて作り上げられた完成度の高い作品という文脈が加味していたりして。この研究から派生して、AIが描いたアートと人間が描いたアートを条件にして実験してみたいなと思った。単純労働の代替だけでなく、クリエイティブな領域にまで侵攻してくるAIに対して、人間はどのように感じるのだろう。  

 

おしまい。